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2002年9月11日修正
Nagano olympic IOC
snowlets
 
1998年2月21日
男子回転(SL)  -  焼額山スキー場
【長野オリンピック】
 
 アルペンの最後を飾る男子回転(SL)は、2月21日、小雪の降る中で行われた。 雨になるかもしれない、という予報もあって、『冷えてくれ』という願いを込めて、 コース整備は、深夜からレース直前まで行われた。その願いが叶ってか、雪は降るものの、気温はマイナスになってコースは固まった。 もちろん、この日の注目と期待は日本選手、特に、プレ五輪で4位になっている木村だ。 『大回転に出場させて五輪の雰囲気に慣らそう』というチームの方針が、果たして生きてくるのか。 木村のスタートナンバーは「2」だった。 観客
多くのファンが、オリンピックの最後を楽しんだ
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   1本目トップに立ったのは、トーマス・シッコラ(オーストリア)。4位にも、オーストリアのシュタンガッシンガーがつけた。 しかし、赤毛に染めたハンス・ペーター・ブラースを筆頭に、フルセト、ヤッゲ、トム・スティアンセンと、 ノルウエー勢がオーストリアを包囲する。やはり『こんなにプレッシャーのかかる試合はなかった』という木村は、 1秒47差の10位で出遅れてしまった。しかし、まだ入賞の可能性はある。 またトンバは17位のタイムに終わり、大回転での転倒の影響もあってか、2本目にスタートすることなく長野五輪を終えた。
 2本目、21番目にスタートした木村は、本来の滑りをすることなくゴール。その時点4位で、入賞の可能性も消えてしまった。
 
 
K.Kimura
木村公宣
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  G.Hirasawa
平沢 岳
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 ブラースがトップに立ち、最後のシッコラを待ったが、シッコラは勝利を意識してか、堅い滑りでスピードに乗れず、 タイムをロスして、銅メダルに終わった。銀メダルは、89年以来日本、特に志賀高原との相性がいいフルセトが獲得した。 結局、木村の最終成績は13位。木村にとって3回目の五輪での最高成績だったが 『いい経験をさせてもらった。力の続く限り選手でいたい。』と、競技続行を語った。
 
O.C.Furuseth
銀メダルは、フルセト
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  T.Sykora
銅メダルは、シッコラ
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H.P.Buraas
優勝したブラース
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  H.P.Buraas
チームメイトの肩車で祝福されるブラース
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写真/文 : Hiro.Yakushi
 
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