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2002年9月5日変更 | ||||||||
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日本に初めてワールドカップ(W杯)がやってきたのは、1973年3月、苗場スキー場だった。 札幌五輪が終わって、アルペンスキーが燃え上がろうとする時のことで、 世界の強豪たちの、豪快で迫力ある滑りに魅了され、一気にその虜となって行った。 それから、ほぼ隔年にW杯は日本で開催されて来たが、ようやく志賀高原に来たのは、16年後の1989年3月のことだ。 | ||||||||
シーズンを締めくくる最終戦だったこと、 通算「86勝」を挙げ、スキーの神様と言われた、インゲマール・ステンマルク(スウエーデン)の最後のレースとなったこと、 また、前年のカルガリー五輪で2冠を達成していたアルベルト・トンバ(イタリア)がやって来たことなどを合わせ、 その注目度は膨れ上がっていた。 | ||||||||
男子大回転(GS)は、3月9日、西館山コースで行われ、優勝したのは、 ノルウエーのオーレ・クリスチャン・フルセト(左下写真)。 W杯参戦3季目、この4日前、富良野スキー場で行われた回転(SL)で、W杯初勝利を挙げた新星で、 大回転(GS)の初勝利とともに、ノルウエー勢として、男女を通じて史上初の種目別タイトルも手にした。 2位はオーストリアのフーベルト・シュトロルツ(下中央写真)、 3位にはスウエーデンのヨハン・ワルナー(右下写真)という選手が入っている。 | ||||||||
大回転初勝利と共に 種目別タイトルも手にした、 フルセトの果敢な滑り (クリックで拡大:213KB) |
2位に入ったのは、 ミスター2位の異名を持つ シュトロルツ (クリックで拡大:218KB) |
安定した滑りで3位に入った、 スウェーデンのワルナー (クリックで拡大:221KB) |
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注目のステンマルクは、1本目18位。しかし、2本目には、ステンマルクは全盛時の滑りを披露。 ベストタイムをマークして4位に入り、スイスのピルミン・ツルブリゲンを5位に退けて、 フルセトの種目別タイトル獲得をアシストした。 そのフルセトは、一時の不振から脱し、1998年の長野五輪では回転(SL)で銀メダルを獲得。 惜しまれながら2002年限りで引退した。 | ||||||||
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写真/文 : Hiro.Yakushi | ||||||||
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