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2002年9月10日修正
FIS
 
2001年2月18日(日)
男子回転(SL)  -  焼額山スキー場
【第8戦】
 
   前日の失敗で、第1シードから滑り落ちた“一日天下”の皆川は「18番」、 そして、久々の「15位」でもう一度期待したい木村は、「24番」でスタートした。 1本目の皆川は10位(1秒83差)で、木村は19位(2秒69差)で、久しぶりに揃って2本目に進出、表彰台の期待も膨らんだ。 コース状況はほぼ前日と同じだったので、早いスタート順の方が好条件で滑れたのは言うまでもない。 だから、1本目の1位から9位までを占めたのは、スタート順1番から9番までの選手で、 コースの特徴が呑み込めたのか、誰も失敗していない。そして、ベストタイムでトップに立ったのは、 前日優勝のブルジェ。“のる”ということが如何に大切かということである。 2位以下には、マリオ・マット、ハインツ・シルヘッガー、ベンジャミン・ライヒと、オーストリアの若手が続いた。  
 
P.Bourgeat
1本目のベストタイムをマークしたブルジェの滑り
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 2本目、12番目にスタートした木村。無難に旗門をクリアし、フィニッシュラインが目前になった時、観衆から悲鳴が上がった。 転倒してズルズル流される木村。前日に続いてのポイントゲットは、夢と消えた。皆川は21番目に滑り出した。 中間計時でも、それまでの最高タイムを0秒26上回り、自己最高(6位以内)の期待が大きく膨らんだのだが、 直後に片ハンで万事休す。2日続きの失敗。『結果を出せなくて最悪。』と言って会場を後にした皆川に、 観衆の多くは、ただ嘆息するのみだった。確かに「守って」いては、好成績は望めない。 しかし「攻める」だけ、途中計時が速いだけ、で「結果」が伴なわなければ何も残らない。 まして「期待」されている者にとっては、それなりの「成績」を残すことも大切だ。 もし「自分のためだけ」に滑っているのだとしたら、それは大きな間違い。多くのアルペンスキーのファンが居て、 それらの人々に支えられていることを感じて欲しい。最終戦へ、そして来シーズンに向けて、ただ速い選手だけでなく、 “期待に応えられる”選手になって欲しいものだ。

 15番目に滑った、ストランド・ニルセン(ノルウェー)がトップに立って、レースは進んでいた。 そして、レースを動かしたのは26番目にスタートした、1本目5位のユーレ・コシールだった。 度々、1本目のベストタイムをマークしながら2本目に沈むことが多く、 「ガラスの・・」とか「ノミの心臓」の持ち主と言われたコシールも、既に28才。 そんな彼も“ショートカービングスキー”革命の波にのまれた一人で、昨シーズンは不振をかこっていた。 今季のキッツビューエル回転第5戦で2位に入った時には、『過去15年間の蓄積(テクニック的に)を捨て、 ゼロからのスタートだった。でも、今日の滑りで光明が見えた。』と喜んでいた。そのコシールがトップに立ったのだ。 ゴールの瞬間には、大きなガッツポーズでフェンスにもたれかかった。
J.Kosir
3位に入ったベテランのコシールは、
フェンスにもたれかかってガッツポーズ。

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 28番目に滑ったシルヘッガーが、コシールを抜きトップに。こうして、次々とトップが入れ替わると、見ていても面白い。 選手の滑りに、ファンの目は釘付けになり、レースは盛り上がる。29番目のマットは、コシールを抜くことが出来ない。 残るは、前日の優勝者ブルジャだだ一人。これで、志賀でのワールドカップもフィナーレを迎える。 コースはもちろん荒れていた。
 
H.Schilchegger
2位に入ったシルヘッガー(オーストリア)
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  H.Schilchegger
シルヘッガーも大きくガッツポーズ
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 30番目、最後のレーサーとして、ブルジェが滑り出した。中間タイムは1本目のリードをさらにひろげる好調な滑りで、 ベストタイム。後半は、ややスピードが落ちたものの、それまでのリードをキープして、合計でも、トップで電光計時を止めた。 前日に引き続いての連勝だ。志賀の雪に感謝するように、連勝の喜びを噛みしめるように、 フィニッシュエリアに腹ばいになったブルジェ。その後コーチたちが駆け寄って肩車で祝福した。
 表彰式後のインタビューで、連勝の気持ちを聞かれたブルジェは、大きな涙を流すのみだった。
 
肩車されるブルジェ
連勝が決まってコーチたちに肩車で祝福されるブルジェ
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  肩車されるブルジェ
表彰台の3人。
左からシルヘッガ−、ブルジェ、コシール。

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 今季最高とも言える天候に恵まれた、今回の志賀高原大会。日本選手の成績には、やや不満の残るものがあったが、 選手たちがピステの上、旗門の間で見せるスピードと迫力、その卓越したテクニックには誰もが魅了されたはずだ。
 2003年3月7日、8日、再びワールドカップが志賀高原にやって来る。
 
写真/文 : Hiro.Yakushi
 
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