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2002年9月11日修正
FIS
 
2001年2月17日(土)
男子回転(SL)  -  焼額山スキー場
【第7戦】
 
   休日となった、前日16日の吹雪が嘘のように、晴れあがった長野オリンピック回転の舞台、焼額山スキー場。 早朝3時からリフトが運行され、ほぼ完璧な除雪でコースが作られた。
 この日の注目はやはり、日本人4人目の「第1シード」選手となった皆川賢太郎選手。世界選手権回転10位という成績で、 15人目に滑り込んで、第1シード入りを果たした。多くのファンが、世界のトップ選手を一目見ようと訪れた前日の公開ドローで、 皆川が引いたスタートナンバーは「9」。果たして日本のファンの前でどんな滑りを披露してくれるのか・・・・。
 
 
皆川ドロー
今回が初めての第1シード!
『9番』を引いた皆川だったが・・・・。

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  皆川ドロー
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公開ドロー
公開ドローで勢揃いの、トップ7!
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 1本目、スタート順の早い選手が好タイムをマークした。5番スタートのライヒが54秒05でトップに立ち、 3番のハンス・ペーター・ブラースが0秒77差で2位、そして3位以下は、100分の1秒を争う混戦となった。 後半の選手のタイムが伸び悩んだのは、コースの雪の固まり方と、ショートカービングというスキーに原因がある。 素人目には「アイスバーン」ともとれるピステは、表面が固まっただけの「モナカ」状態で、 数人が滑っただけで、エッジングの強いところは「剥げる」ように荒れていったのだ。 それに拍車をかけたのが「短いスキー」である。エッジングによって、同じパワーが足元に掛かるとすれば、 当然長いスキーでは分散され、短いものでは集中することになる。そうすれば、ピステを破壊する力も増大する。 この、特有のコースの荒れ方が、タイムとなって現れたのである。 B.Raich
レッドビブを着けた、ライヒの滑り
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 9番目にスタートした皆川は、前半は快調に滑ったが、後半の急斜面から緩斜面へ移行しようかというところで「片ハン」の失敗。 ファンの『アッー!』というため息とともに途中棄権となった。皆川が失敗したことで、一身に期待を受けることとなったのは木村。 28番にスタートして、トップから遅れること3秒78ながら、28位のタイムで、2本目に進んだ。
 
皆川賢太郎
皆川の1本目の滑り。木村と比較してもコースの凹みが少ない。
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  木村公宣
木村の1本目の滑り。
『ゴールしてトップであとを待つ。これですね。』と笑顔で答えた。

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 2本目、コースが荒れる前、3番目にスタートした木村は『プレッシャーがあった。でも快調だった。』という滑りで、 合計トップでゴール。小さなガッツポーズで後続を待った。その後、10人が滑って、やっと木村は抜かれた。結果は15位。 1本目のタイム差から言って、表彰台はほぼ絶望的だが、可能性は無い訳ではない。その間の「ハラハラ、ドキドキ」こそ、 『レース』の醍醐味なのである。木村の2本目のタイムは、57秒22で、ベストタイム。 皆川に主役の座を奪われた感のある木村でも「条件さえ良ければ」という条件付きで、まだまだ闘えることを示した。
 
   優勝したのは、1本目9位から逆転した、フランスのピエリック・ブルジェ。2本目も1本目同様、 後半に滑った選手たちは、荒れたコースに手を焼いた。ブルジェの優勝は、98年11月以来のW杯2勝目。 この優勝は、ブルジェにとってオーストリア勢を破ったこと、そしてケガからカムバックできたことで、 優勝賞金4万スイスフラン以上に価値あるものとなった。
P.Bourgeat
優勝賞金4万スイスフラン
(手取りは3万2千フラン、約240万円)の
キャッシュを手に喜ぶブルジェ。
熨斗袋の厚さが気に掛かる。

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  P.Bourgeat
優勝したブルジェの滑り
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写真/文 : Hiro.Yakushi
 
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